民謡のチカラ

民謡*1

この項目は勉強しながら公開で執筆していきます。
多くの方の文章や研究によるところもありますが、いちいちことわりは書きません。
Wikiという性質上、常に執筆途上です。(誰でも加筆訂正編集などができます)

民謡とは

民謡というのは明治時代に一般化した言葉で、民俗的な謡(うた)ということらしい。
古くは「俚謡」「俗謡」などと呼ばれていた。

もともと日本各地にあって、生活の中で唄われてきた「うた」の総称。
創ったことよりも、唄い継がれてきたという事に意義があり、集団的に創作されてきたとも言える。

古典邦楽が「伝統」音楽であるのに対して「伝承」音楽であるとも言われる。

もともと誰が作詞作曲したのかわからない(気にしない)ものだったし、文化的な価値があるとも思われていなかった。明治になって西洋音楽との出会いに対応して、低俗なものとして排斥され、唱歌にとってかわられるべきとの考えも生まれた。一方で民族音楽として意識されるようにもなっていった。

急速に西洋文化を採り入れていくなかで、日本独自の文化の拠り所として、また民衆の文化の姿として、文学から哲学にいたるまでの学問的課題になった。民俗学者によって収集されたり、作曲家によって新しく創作されようなった。

作者のわかっている明治時代以降の民謡は「新民謡」と呼ばれ区別されることも多い。

民謡の成り立ち

江戸時代までも、各地を移動して暮らす特定の職業の人々によって、それぞれの地方にあった唄が各地に広まって行くものだった。今日に伝わる民謡の多くはこうしてつくりあげられたもので、遠く離れた地域の唄が似通っているのはこうした事情によるものだ。

節と詞は別々に発展しつつ伝わるので、同じ節に別の詞がつくことも多い。同じ詞を別の節で唄うこともある。結局ほとんどの民謡は「替え歌」だとも言われる。

特に明治以降*2になると都市部に集まった地方出身者の唄う「俚謡」が地域を越えて流行するようなる。

民謡には本来伴奏は無かったようだが、江戸時代に琉球から伝わった三味線が普及、お座敷などで「流行うた」を唄う専門家もあらわれた。歌唱技術が高度に磨かれるとともに、明治以降になると尺八などが伴奏楽器*3として採り入れられるようになり、今日舞台でで行われる民謡の原型が成立していった。

昭和になるとラジオ放送やレコードによって、全国的に知られる民謡もあらわれ、日本のポピュラー音楽「流行歌」の重要なジャンルとなり、全国的に有名な民謡歌手も誕生した。*4

歌謡曲が洋楽*5化する前の時代、日本でいちばんポピュラーな音楽は民謡だったのだ。

一方で生活様式の近代化によって、民謡の主な発生源であった労働のあり方がすっかり変わってしまったので、日常生活における民謡は次第に失われていった。流行歌として再構成された民謡や新たに作曲された新民謡はラジオによって普及したが、土着にあった唄は急速に失われはじめた。

人々の間には民謡は聴くだけでなく自ら唄う(演奏する)ものという意識があったから、生活に根ざした民謡が失われる一方で、全国各地で名人や専門家に民謡を習うということが盛んになった。民謡の専門的指導者としての家元が各地に誕生、地域に伝わる民謡を保存しながら、それぞれの流派の芸を磨いて行くようになった。

民謡の今とこれから

民謡は「流行歌」のひとつのジャンルになったおかげもあって、時代の変化とともに急速に衰退してしまった。今日では民謡はお年寄りの「趣味の芸事」の一種という認識が広まっているが、昭和30年代以前に青春時代を過ごした人々にとっては最もなじみの深い流行歌のなかに民謡があったのだ。

しかしビートルズ世代以降の人々にとっては「音楽」の基準があきらかに洋楽にシフトしてしまったので、いまや民謡は「ポピュラー音楽」ではなく伝統芸能の領域に入りつつある。各地の郷土民謡は「保存」の対象である。

有名な民謡は教科書に載っているし、盆踊りに代表されるような日本的風物を彩るものとして広く定着していることもたしかである。日本人なら日本の民謡と他の国の民謡を聞き間違えることはまずない。そのくらいに民謡は我々のDNAに近いレベルで記憶されているのだ。*6

作者不詳のものが多い民謡では、本来歌詞もメロディーも流動的である。流行歌にするために様々に改変*7された一方で、地域に伝わる伝統としての「正調」を守る運動もある。しかし「正調」も、伝承者からの口伝だけでは成り立たず、なんらかの編集作業を通じて確立されてきたものだ。

ご当地ソングとして、郷土民謡の新しい歌詞を公募したり、○×音頭というかたちで地域おこしの材料として行政機関などの依頼によって創作されることもある。作者がはっきりしている場合でも、民謡と認識されている場合は比較的自由に「替え歌」がつくられる。

レコードや放送で流行した民謡の場合、流行らせた歌手がいることも多いのだが、誰かの「持ち歌」という考えはあまりなく、誰でも自己流にアレンジしたりして自由に再録音したり舞台で唄ったりするものだ。このあたりが作曲された流行歌(歌謡曲)との違いとも言える。

民謡教室や名人の録音のおかげもあって、細かい節回しや伴奏まで定型化したものも多いが、同時に自由な音楽的な発想で民謡を再創造しようという動きも常に盛んだ。

民謡は音楽のひとつのジャンルであるけれども、単に音楽というだけでは捉えられない要素を多分にはらんでいる。いろいろな立場の人が好き勝手に民謡を定義し主張している。それこそが民謡の本質に近い現象なのだろう。

だが今創られている歌が次の時代に民謡として定着するかどうかわからない。少なくとも民謡というのは民衆のうたなのだから、一度は流行らなければ伝わることもできない。

時代の流れのなかで民謡が古典芸能化していくことは避けられない部分もある。*8しかし本来の民謡は人々の暮らしに密着したもので常に新しい要素を採り入れながら時代とともに変化してきたものだ。だから次の時代にはヒップポップが日本の民謡に入り込んでいるということもあり得る話だ。

ただそれが日本の民謡だと言えるとしたら、そこには何らかの伝承の連続がなければならない。アメリカのブラックミュージックが様々に形態を変えながらも、常に強烈なアイデンティティーを保ち続けているのはなんらかの「つながり」を保っているからだ。日本でも沖縄では民謡が島唄というアイデンティティーを強化しつつ今も発展し続けている。

この先の時代に日本の民謡がどうなるかは、日本の文化がどうなるかということを示す指標のひとつになることは確かだ。


*1 ここでは日本における民謡「日本民謡」について扱う。
*2 江戸時代には農民の移動は認められていなかった
*3 明治以前はほとんどの楽器演奏は特定の社会集団に独占されてた
*4 当時の作曲家たちは西洋的な要素を採り入れた流行歌の作曲を試みていたがなかなか間に合わなかった。そこでレコード会社はより普及している民謡の商品化を先に進めることになった
*5 歌謡曲のジャンルとしてのポップス
*6 民謡と童謡・唱歌や演歌の境界線はもともとあいまいなので、区別できない人は増えていると思われる
*7 音階やリズムを整え、放送できるように卑猥な詞は廃された
*8 歌舞伎もかつては大衆演芸だった